闘病マニア

1999年3月22日にくも膜下出血、2005年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化して色々な秘訣やコツを習得してます。少しマニアック過ぎるかも知れませんが自分の習得した知識を皆様と共有出来ればと思いこのブログを書いてます。

痙攣で目が覚める(9/6の透析)

f:id:nannbyou67:20170907053229j:plain

本日の体重は6%の5.1kgの増加でしたが前回の透析で1.6kg残したので実質4.1%の3.5kgの増加でした。

5.1kgの除水は多いと言われる方も多いですがドライウェイトの6%なのでリバンドして無ければ自分の場合楽に除水が出来る値です。

透析の開始

5.1kgは楽に除水出来る数値とは言え透析開始の血圧の上88下55と少し低めの開始でだったので上げても下げても変わらない足を上げての透析を受け入れました。

13年の過去の実績から今日も眠いので開始時の低めの血圧は織り込み済みで寝れば治るけど看護師は気が気でない様子です。

透析開始から2時間半経過

透析開始から2時間半の定期の血圧測定は上89下58でした。確り2時間半寝たけど思いの外血圧が上がらなかったので液温を36℃から34℃に下げてもらい残りの2時間透析する事にしました。

透析終りまで30分

透析終了前30分の血圧は上100下54と眠気が取れた後半は予定通りに血圧が上がって来ました。

80台後半で透析が終わると90台にならないと帰して貰えないので厄介ですが透析終了30分前で100有るので一安心しました。

本日の透析のまとめ

透析終了時の血圧は上104下55と80台にならず直ぐに針を抜いて帰してもらえるので良かったです。次回の透析まで塩分制限を確りして体重増加に気を付けたいと思います。

【追記】

帰ってからも何も無かったけど翌朝痙攣で目が覚めました。もしかして少し太ったのかも知れ無いので次回の透析は気を付けたいと思います。

 

透析患者ですがカリウムが上がらない

f:id:nannbyou67:20170906045908j:plain

透析導入時には「透析患者は体内にカリウムが溜まり高カリウム血症になりやすく高カリウム血症になったら痺れ不整脈などの症状が現れ最悪心停止至る恐れがあるのでカリウムの多い食材を水にさらしたり食材を茹でこぼしたりしてカリウムの摂取に気を付けて」と指導された。

f:id:nannbyou67:20170906050116j:plain

カリウムが上がらない

透析導入時は右も左も分からないので言われるがままに食材を水にさらしたり食材を茹でこぼしたりしてました。

一応1年間はカリウム対策の指示に従ってましたがトマトジュース200mℓ飲んでも血液検査の結果は5.0mEq/Lを超えません。

更に試しにバナナ一本などカリウムの多い食材を血液検査前に食べてみたけど血液検査には何も変化が無くん5.0mEq/Lを超えませんでした。

f:id:nannbyou67:20170906050146j:plain

カリウムは気にしない

透析導入1年間はどの食材がどれ位食べる事が出来るか調べていてリンは直ぐに上がるけどカリウムは全く上がらない事が経験則から導かれました。

なので2年目以降はカリウム制限する事を止め透析導入前の普通に野菜や果物を食べる食生活に戻し便秘が解消されお腹の調子が良くなった事は助かりました。

f:id:nannbyou67:20170906050218j:plain

まとめ

リンは直ぐに上がる体質なので乳製品とソーセージは食べない事にしてますがカリウムは上がらない体質なので果物や野菜を好きなだけ食べてます。

ただしアーモンドを毎食後10粒1日30粒食べたら普段5.0mEq/Lを超えないのに超えたので現在アーモンドを毎食大量に食べるのを控えてます。

「透析は食事と水分の制限が有るので大変ですね」って言われますが自分の場合はカリウム制限が無いので随分と楽な食事制限になってます。

カリウム制限の無い比較的楽な食事制限ですが不良透析患者なので食べ過ぎ飲み過ぎが多いですがストレスと血液検査のバランスを取りながらリン・食塩等の食事制限を引き続き頑張りたいと思います。

 

競馬で稼いで財布の中身も増えたけど体重も増えました(9/4の透析)

f:id:nannbyou67:20170905051754j:plain

本日の体重は8.6%の7.3kgの増加でした。昨日の夏競馬最終日予定金額を稼いだ為に自分へのご褒美で食べ過ぎました。体調もそんなに良く無い見たいだし週の始めなので無理しても仕方ないので1.5kg残しの5.8kgの除水で設定して透析を行いました。

透析の開始

透析開始の血圧は上92下57で本日の透析はスタートしました。今日もメッチヤ眠いので最初血圧が低いのは織り込み済みで最初の2時間半は寝て過ごしました。

透析開始から2時間半経過

透析開始から2時間半の定期の血圧測定は上115下67まで回復しました。7.3kgも増やして1.5kg残す設定なので血圧は上がって貰わなくては困ります。

透析終りまで30分

透析終了前30分の血圧は上103下67でした。血圧的にはもう少し除水が出来ますが体調が良く無いみたいで脹脛が痙攣しそうなので止める事にしました。

本日の透析のまとめ

今日は体調がイマイチでプラズマリフィリングが除水に追い付かない様で透析終了時の血圧は上115下68で体重は予定より100g多く1.56kg残しの86.0kgで痙攣も無く無事に透析は終わりました。

 

 

 

過去50年のまとめ--嬉しかった事

この投稿の前の投稿は辛かった事を書きましたがここでは頭の中に浮かんだ嬉しかった事を書きたいと思います。

日本一

辛かった事で大学一年生の時の事を書きましたが嬉しかった事はその苦労が報われ所属してた大学のチームが大学三年の時に日本一になった事です。

チームが日本一になって思った事はレベルが低い時は努力で何とかなるけどプロ、実業団、大学等にレベルが上がると最初から持ってる素質が高い者が努力しないと駄目な世界が有るって痛切に感じました。

又、自分の所属してるクラブ以外も全国から優秀な選手が集まってる所に居たので世の中には色々な能力を持ってる人が沢山居る事が分かり人生のプラスになりました。

横断歩道を渡れた時

辛かった事でくも膜下出血のリハビリの事を書きましたが嬉しかった事もくも膜下出血のリハビリの時の出来事です。

くも膜下出血のリハビリは左半身が完全に麻痺して大変で最初に立てた時は嬉しかったです。

立てた時も嬉しかったけど歩く速度が遅く何度挑戦しても時間内に横断歩道が渡れない日が続いてました。

辛い歩く練習を毎日繰り返しやっと時間内に横断歩道を渡れた時がリハビリをやっていて一番嬉しかったです。

日本一の時もそうですが辛い時を乗り越えて物事を達成すると嬉しさが倍増して印象に残る様です。

仲間に恵まれてる事

50時生きていて一番嬉しい事は仲間に恵まれてる事です。

当たり前の様に仲間は存在してるので普段は気付きませんが亡くなるとその存在の大きさに気付かされます。

50になると物故者も増え始め今年も幼稚園からの幼馴染みがガンで亡くなり仲間に恵まれてたと再認識しました。

色々な分野で頑張ってる仲間をみると自分の能力は大した事は無いですが自分ももう少し頑張ってみようかなって思えるのでその点でも有難いです。

50年を振り返ってのまとめ

50年も生きてると喜怒哀楽の出来事が数多く有り今回は辛かった事と嬉しかった事で50年を振り返りました。

自分の病気が病気だけに後どれ位生きるか分かりませんが仲間から後ろ指を指されないようにして還暦を迎え「還暦のまとめ」が書けるまで生き延びたいと思った次第です。


【追記】

競馬の南関東船橋のメインレースを32連勝した事や中央競馬で一日7レース賭けて全的中の7連勝で1,000円が230万円になった事も嬉しかった出来事でした(笑)

 

過去50年のまとめ--辛かった事

f:id:nannbyou67:20170903090438j:plain

今年の8月31日は幼馴染みの33回忌で色々な事を考えてさせられました。自分は紆余曲折有りましたが50年何とか生き延びたので過去を振り返って見ました。

50年も生きてると色々な事が有りましたが何が辛かったかなって思ったらパッと3つ思い浮かび書いて見ました。

失恋

現在バツイチですが離婚については色々有ったけど納得して別れたので辛いってよりは安堵してます。

自分の場合は離婚より過去の恋愛の中の1つの失恋の方が辛かった記憶が有ります。

出会いはアメリカ留学の為に通った英語学校で、容姿・性格共に素敵な方で一目惚れって奴でした。

分不相応でしたが何で付き合ったのか不思議でしたが付き合ってました。

色々有った末に別れる事になりましたが別れる理由が「アメリカ留学で離れるのが耐えられない」との事でした。

今となっては体のよい断りの言葉と分かりますが若かりし時の自分には理解出来ず「アメリカ留学する事で出会い、アメリカ留学する為に別れた」って暫く引きずりました。

くも膜下出血

多発性嚢胞腎の合併症の1つのくも膜下出血してますが「手術しても30%死亡、30%寝たきり、生きるけど30%障害が残る、10%障害が無く普通の生活に戻る、でも手術しないと一週間以内に99.999%死ぬ」って言われ手術しました。

無事に10%の普通の生活に戻れた訳ですが兎に角リハビリが辛かったです。手術が成功して生き延びましたが術後左半身が麻痺していて「これ左半身が本当に動くの???」と毎日思いながらリハビリしてました。

くも膜下出血の手術の入院期間は入院基本料の減額される14日で左半身が動かないけど病院でやる事が無いと言われの退院でした。

退院後自宅でリハビリしてましたが退院して3ヶ月間は殆ど左半身の麻痺は改善されなかったけど3ヶ月たったある日突然動く様になりました。

ただし麻痺は治ったけど運動能力がメッチヤ低下して左手の握力が80kgから42kgに低下しました。主治医に「握力が半分になった」とボヤいたら「贅沢な悩み」と一蹴でした(笑)

動く様になっなら治りが早く半年で職場に復帰出来ましたが左半身が全く動かなかった3ヶ月間は先が見えず「一生治らないのでは」と不安との戦いでした。麻痺から回復したのは3ヶ月と短かったけど先が見えなかった事はメッチヤ辛かったです。

体育学部の一年生

今となっては良い思い出ですが50年生きて来た中で一番辛かった事はT海大学一年生の時ですね。

T海大学では体育を専攻で体育会系の部活に所属してました。体育会系の部活は一年生は奴隷、二年生は平民、三年生や四年生は神様なのでメッチヤ辛かったです。

T海大学はN体大より上下関係は緩く楽な関係ですがクラブの寮生活だったので毎日雑用で一日中大変でした。特に電話番だったので気苦労が絶えませんでした。

気苦労に加え一年生の時の実技の授業の集中した日は辛かったです。朝からラグビーハンドボール、水泳やった後に部活、朝9時から20時まで動きっぱなしで体育の日と言ってたこの日は6,000kcal取っても痩せてました。

高校が自由の気風の強い学生生活だったので体育会系の秩序が有って理不尽な学生生活は人生で一番辛かったです。

辛い事のまとめ

辛い事として透析についてはパッと思い浮かばず触れませんでしたがくも膜下出血や体育会系の生活に比べれば精神的にも体力的にもメッチヤ楽と思ってるので思い浮かばなかったと思われます。

ただし体育会系の理不尽な人間関係よりも心が病んでる人が多くその方達とお付き合いしないといけない人間関係は辛く嫌ですね。

辛い事と言えばもう一つ仲間が無くなる事もそうで、今年も近所の幼馴染みが無くなり結婚で出て行った人を含めると町内の同い年は自分一人になってます。4人の内2人死ぬのは早すぎです。

辛い事ばかり書いたので気が滅入りましたが次の投稿では嬉しかった事を書きたいと思います。

 

リバウンド無しで一安心⤴︎⤴︎⤴︎(9/1の透析)

f:id:nannbyou67:20170902042724j:plain

本日の体重は3.8%の3.2kgの増加でしたが前回お残しが300g有ったので実質3.4%の2.9kgの増加でした。体調は背中に脊柱管の狭窄とは異なる痛みと張りが有りますが今の所大きな問題では無いので様子を見ることにしてます。

透析の開始

今日(9/1)の透析開始の血圧は上85、下47と前回の透析と同じ低めの血圧で透析はスタートしました。今日も変な時間に目が覚めて起きて睡眠不足で眠いので血圧が低いのは仕方ないので透析前半の2時間半仮眠して様子を見ます。

透析開始から2時間半経過

透析開始から2時間半の定期の血圧測定は確り仮眠を取ったので上102下59まで上がりました。これで最後まで行けそうですが一応安全を見て血液の温度を36℃から35℃に下げて残りの2時間過ごす事にしました。

透析終りまで30分

透析終了前30分の血圧は上102下61で安定していて痙攣の気配も無くこのままドライウエイトで終われそうです。

本日の透析のまとめ

透析終了時の血圧は上107下67で体重は100g除水出来ずの84.5kgでした。本日84.5kgで終わったって事は今回の嚢胞感染の発熱で1kg痩せた分のリバウンドは無かったって事で一安心です。

 

透析とプライバシー

f:id:nannbyou67:20170901052024j:plain

世の中には個室・半個室での透析施設も有るとは聞いてますが自分の場合は仕切りの無いワンフロアーに85台のHDとベッドが有る環境です。

音は良く聞こえる

ワンフロアーぶち抜きでベッドと透析の機械が並んでる環境なので良くも悪くも周りの音は良く聞こえプライバシーは皆無です。

自分の場合透析中はテレビを見ないし、稀にテレビを見たり音楽を聴いたりしても片耳にしかイヤホーンを当てないので寝てる以外は周りの音は良く聞こえ両隣の患者さんの病状は良く知ってます。

透析時の服装

大学の時はバレーボール部の寮生活をしてたのでパジャマ等の寝る時の服を見て共同生活をしましたが病院は共同生活してる訳で無いので透析時のパジャマは勘弁して欲しいと思ってます。

男女別になってれば気を使わずに済みますが自分の環境は男女混合で透析を受けるので気を使い若い女の子は大変だと常々思ってます。

病院で病衣を出して貰えば済むのですが入院してる訳では無くリネン代等が必要になるので現実的な選択では有りません。

自分の場合は初めの頃はジャージで透析を受けてましたが近年では作務衣で透析を受けてます。

余談ですがお出かけ用の作務衣、透析用の作務衣、寝る時の作務衣は別ですが同じ作務衣を着てるので何処で会っても同じ格好してます(笑)


透析中のQOLの向上について

今後の透析の施設は個室・半個室が増えるとは思いますが透析の個室・半個室は診療報酬が絡む問題なので新潟の片田舎では自分の生きてる間は期待出来そうに無いし出来たとしても追加の費用は払えないですね。

可能で有れば病気の説明を口頭で行う場合のみ個室、出来なければ文面で説明して欲しいです。流石に隣の人の病状が手に取るように分かるのは心苦しいので何とかして欲しいです。

最後に

基本的に考え無しで無頓着な性格でカプセルホテルも大好きなので自分は周りに人が居る事はそんなに気にしません。

でも狭い空間に人が居ると何かと問題が問題が発生するので今回の投稿で透析のプライバシーを考えたので今一度透析の時の立ち居振る舞いを見直ししたいと思いました。