闘病マニア

1999年3月22日にくも膜下出血、2005年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化して色々な秘訣やコツを習得してます。少しマニアック過ぎるかも知れませんが自分の習得した知識を皆様と共有出来ればと思いこのブログを書いてます。

過去50年のまとめ--辛かった事

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今年の8月31日は幼馴染みの33回忌で色々な事を考えてさせられました。自分は紆余曲折有りましたが50年何とか生き延びたので過去を振り返って見ました。

50年も生きてると色々な事が有りましたが何が辛かったかなって思ったらパッと3つ思い浮かび書いて見ました。

失恋

現在バツイチですが離婚については色々有ったけど納得して別れたので辛いってよりは安堵してます。

自分の場合は離婚より過去の恋愛の中の1つの失恋の方が辛かった記憶が有ります。

出会いはアメリカ留学の為に通った英語学校で、容姿・性格共に素敵な方で一目惚れって奴でした。

分不相応でしたが何で付き合ったのか不思議でしたが付き合ってました。

色々有った末に別れる事になりましたが別れる理由が「アメリカ留学で離れるのが耐えられない」との事でした。

今となっては体のよい断りの言葉と分かりますが若かりし時の自分には理解出来ず「アメリカ留学する事で出会い、アメリカ留学する為に別れた」って暫く引きずりました。

くも膜下出血

多発性嚢胞腎の合併症の1つのくも膜下出血してますが「手術しても30%死亡、30%寝たきり、生きるけど30%障害が残る、10%障害が無く普通の生活に戻る、でも手術しないと一週間以内に99.999%死ぬ」って言われ手術しました。

無事に10%の普通の生活に戻れた訳ですが兎に角リハビリが辛かったです。手術が成功して生き延びましたが術後左半身が麻痺していて「これ左半身が本当に動くの???」と毎日思いながらリハビリしてました。

くも膜下出血の手術の入院期間は入院基本料の減額される14日で左半身が動かないけど病院でやる事が無いと言われの退院でした。

退院後自宅でリハビリしてましたが退院して3ヶ月間は殆ど左半身の麻痺は改善されなかったけど3ヶ月たったある日突然動く様になりました。

ただし麻痺は治ったけど運動能力がメッチヤ低下して左手の握力が80kgから42kgに低下しました。主治医に「握力が半分になった」とボヤいたら「贅沢な悩み」と一蹴でした(笑)

動く様になっなら治りが早く半年で職場に復帰出来ましたが左半身が全く動かなかった3ヶ月間は先が見えず「一生治らないのでは」と不安との戦いでした。麻痺から回復したのは3ヶ月と短かったけど先が見えなかった事はメッチヤ辛かったです。

体育学部の一年生

今となっては良い思い出ですが50年生きて来た中で一番辛かった事はT海大学一年生の時ですね。

T海大学では体育を専攻で体育会系の部活に所属してました。体育会系の部活は一年生は奴隷、二年生は平民、三年生や四年生は神様なのでメッチヤ辛かったです。

T海大学はN体大より上下関係は緩く楽な関係ですがクラブの寮生活だったので毎日雑用で一日中大変でした。特に電話番だったので気苦労が絶えませんでした。

気苦労に加え一年生の時の実技の授業の集中した日は辛かったです。朝からラグビーハンドボール、水泳やった後に部活、朝9時から20時まで動きっぱなしで体育の日と言ってたこの日は6,000kcal取っても痩せてました。

高校が自由の気風の強い学生生活だったので体育会系の秩序が有って理不尽な学生生活は人生で一番辛かったです。

辛い事のまとめ

辛い事として透析についてはパッと思い浮かばず触れませんでしたがくも膜下出血や体育会系の生活に比べれば精神的にも体力的にもメッチヤ楽と思ってるので思い浮かばなかったと思われます。

ただし体育会系の理不尽な人間関係よりも心が病んでる人が多くその方達とお付き合いしないといけない人間関係は辛く嫌ですね。

辛い事と言えばもう一つ仲間が無くなる事もそうで、今年も近所の幼馴染みが無くなり結婚で出て行った人を含めると町内の同い年は自分一人になってます。4人の内2人死ぬのは早すぎです。

辛い事ばかり書いたので気が滅入りましたが次の投稿では嬉しかった事を書きたいと思います。