闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

生きてると色々有ります

今まで生きて来た中で色々と経験させて頂きました。その中でも印象に残ってるのは大学の時の経験とくも膜下出血の闘病になります。

 

 

4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷

 

理不尽な事が少ないから選んだ大学の体育学部でしたが世の中は甘く無くクラブでの寮生活だったので1年の時は身体的・精神的に厳しい生活を送りました。

 

当時は携帯電話が無いのは勿論、部屋も電話は無くクラブ専用の公衆電話が寮に一台あり1年の時はその電話番をしてましたが嫌で嫌で2年になってお役御免になったのは嬉しかったです。

 

共同生活は何かと気を遣いますがそれに加えて「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」の体育会の寮生活の中で鍛えられました。大学のクラブは辛い面も多々有りましたが日本一になる経験が出来たのは良かったですね。

 

 

くも膜下出血

くも膜下出血は自分の人生を1番大きく変えた出来事です。くも膜下出血で1番変わった事は医者を全面的に信じなくなりました。助けてもらって信じないのは変な話ですがあのMRIの出来事から医者の話は鵜呑みにせず裏を取る様になりました。

 

その後の闘病生活でも『他の病院では「見解の相違」』とか「私はその薬を中止する権限は無いけど私だったら飲まない」とかMRIと似た様な事が有ったので信頼出来るドクター以外の話は話半分で聞いてます。

 

人工透析

現在も継続中の人工透析くも膜下出血の後遺症は多発性嚢胞腎の合併症と受け容れて闘病に当たってます。

 

人工透析は2018年時点で13年しか経過してないですが色々な事が有りました。知らない間に胃に穴が空いたり、変な感染ルートが疑われる嚢胞感染になったりします。

 

透析の闘病は今日明日死ぬような症状で無い限り一喜一憂せずにデータを見ながら気長に透析とは向き合ってます。

 

まとめ

現在はくも膜下出血の後遺症と透析中心の生活ですがもう少し生きていて良い様なので更に経験値を増やす事が出来そうです。

 

これからどんな経験を積み上げる事が出来るかは分かりませんが一喜一憂せずに一つ一つ経験を積み上げたいと思います。