闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

致命的な状況でしたが19年4ヶ月と15日も生きてます

8/11(土)に多発性嚢胞腎についてのインタビューを受けました。多発性嚢胞腎と言われて今日(8/11)で19年4ヶ月と15日なので30分の予定でしたが入りきらず1時間30分の長話になってしまいました。内容はどの様に多発性嚢胞腎を告知されたかって事とどんな説明を受けたかを時系列に沿って説明しました。

 

自分の場合は多発性嚢胞腎の告知がくも膜下出血と同時にされた特殊なケースなので救急外来で診察してMRIを取った話、救急外来で診たドクターは脳外科の専門医かどうか、なんでくも膜下出血が分かるのに1週間も掛かったのか不思議に思われ色々聞かれました。MRIを撮ってくも膜下出血が分からず1週間後に多発性嚢胞腎と分かり髄液を採取してくも膜下出血が分かるって事は受け入れてますが通常では有り得ない事と再認識しました。

 

インタビューでは20年間に診てもらったドクターの変遷を説明しました。透析導入した施設と透析してる施設が異なる事、脳外科が土曜診療をやめた事、多発性嚢胞腎の専門医が地元にない為に東京で診療を受けてる事で複雑なので一度聞いただけでは理解してもらえずインタビューが終わった後で再び電話が掛かって来て補足説明しました。

 

インタビューを受けた事により本日は20年間を振り返った訳ですが酷い医療環境で良く生きて来れたと思いました。このインタビューを受けた事で腎臓病の専門医は多発性嚢胞腎の専門医とは別物と周知徹底される事を願います。