闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

説明と同意が不十分だと医療不信しか残らない

かれこれ20年も闘病していると色々な事に出会ったり見聞きしてます。1997年に医療法が改正され「説明と同意」を行う義務が、初めて法律として明文化されてましたが闘病を始めた時は酷かった。

 

救急搬送されず自家用車で救急外来に行った自分が悪いのですが医師に「過去に経験の無い頭の痛みで嘔吐した」と伝えMRIを撮ったのに異常が見つからず帰宅になり翌日左半身が麻痺してたけど原因が分からず1週間検査をしてやっと尿検査の数値が尋常じゃない数値だと分かり急遽腎臓のエコー検査したら多発性嚢胞腎が判明した。救急車で搬送されてたら対応は違うと色々な人から助言され今後はクリテカルな時は救急車で病院に行こうと思ってます。

 

多発性嚢胞腎の合併症としてくも膜下出血が有るので念の為背中から髄液を採取したら血液が混ざっていてくも膜下出血とやっと病名が付いた。その後緊急手術になったけどその時の説明は多発性嚢胞腎の事とくも膜下出血の手術の事だけで「MRIを撮った時は見当たらなかった」という説明は1つも無かった。

 

医療には程度問題はあるがシステムエラー、ヒューマンエラーは付き物と理解してあるので「過去に経験の無い頭の痛みで嘔吐した」と伝え撮影したMRIの説明は欲しかったです。闘病の始まりがこんなだったので医療は都合の悪いことは言わないと医師の話は話半分で聞く癖がつきました。

 

不信感を募らせた過去の主なクリティカルな出来事

 

・ピロリ菌が存在しないのに胃潰瘍になり胃に穴が空きました。その時は鎮痛剤を飲んでましたが何故穴が原因は分からなかったけど「その鎮痛剤を処方する場合は胃腸薬を処方するのが常識」と何とか入院先の医師から教えて頂きました。

 

・嚢胞感染と思って入院したけれど普段と異なる抗菌薬を投与されたので「今回の入院は尿路感染では無いようなので感染ルートとして考えられるのは何ですか」と聞いたら「シャントの穿刺の時に感染した可能性が捨てきれない」と入院先の医師から教えて頂きました。

 

・急に足に力が入らず立ち上がれなかったり突然動けたりするので仕事を休んで救急外来に診察しに来たら若い脳外科の医師からくも膜下出血の時に入れたMRI非対応のクリップは平成以降なら大丈夫でMRIの指示。クリップは1999年のクリップでMRIは禁忌と言われた事を看護師に伝えたらMRIは中止になりCT画像での確認になりました。

 

・第61回日本腎臓学会学術総会で東京で多発性嚢胞腎を診て頂いているドクターと立ち話をした時に年2回以上嚢胞感染を発症してる事を伝えたら「それは有り得ない、抗菌薬の投与期間が短い」と言われ「熱が下がってもCRPが基準値の0.3を下がるまで抗菌薬を処方してもらって」とアドバイスをもらった。それまでは2カ月に一度嚢胞感染していたが多発性嚢胞腎の専門医からの指示通り抗菌薬を他の医師から処方してもらったら現時点で半年が経過しましたが一度も嚢胞感染が発病していません。

 

・鉄系のリンの吸着剤はヘマトクリットが55より高くなり多血症になると申し入れしているのにリンが高いからといってピートル顆粒(鉄系のリンの吸着剤)を処方されました。ピートル飲んで3週間目に息苦しくて診てもらったら水が溜まったとレントゲンも撮らずに判断して緊急透析したけど息苦しさは増すばかり。翌日総合病院で血液検査したらヘマトクリットが39から58.4まで上ってました。前にピートルチュアブルを処方され中止になっていたのでかんごし、薬剤師、自分はなんで再度ピートルが処方されるのかと不思議に思っていました。今回は誰も多血症とは診断していませんが前回多血質と東京で診断された時に言われた症状になっているし病名は何か何の説明も無いけどヘマトクリットが58.4なので瀉血するとの事でした。

 

医療行為にはクリテカルな出来事は発生する事は織り込み済みですが近年合併症が増えてきてクリテカル迄行かないけど小さなトラブルが増えてきたので早期発見早期治療が必要だと思う事が多くなってきました。それから1997年に医療法が改正され「説明と同意」義務付けられ22年が経過したのでもう少し説明と同意を受けた医療の徹底を願う今日この頃です。