● 多発性のう胞腎(ADPKD)と診断されたときのことについてお伺いします。(Part2)
Q. ADPKD について情報収集もなさったと思いますが、「これは役に立った」という情報はありま したでしょうか。逆に、「こういう情報が欲しかったのに見つからなかった」というような情報 はありましたでしょうか。
A.自分がADPKDと分かった18年前はADPKD治療方法がない病気なので主治医からは「いつ透析になっても良いように心の準備だけはしてて下さい」「食事制限も無理すると精神的に参るので頑張り過ぎないで」と言われた事が役に立ちました。
「こういう情報が欲しかったのに見つからなかった」ですが18年前は新潟では情報が皆無に等しく何とかネットで探して文献を読んでました。
カフェインがADPKDに良くないって情報や肝嚢胞が出来る事を今でも知らない医療従事者は新潟には多く現在でも新潟のADPKDの患者は大変な思いをしてると思います。
Q. ADPKD の保存期には、ご自身で低蛋白・減塩の食事制限をされていたとお聞きしました。どの ような工夫をされていたのか、また食事制限のモチベーション維持について教えてください。
A.保存期はくずきりを料理に入れ増量して肉などのタンパク摂取を抑えてました。
透析になってからはソーセージと乳製品を基本的に食べない事にしてます。
食塩制限のコツは食塩制限しないおかずを一品それ以外は塩分を使わない事です。
食事制限のモチベーションの維持は適度に羽目を外す事ですが外し過ぎて体重過多になるのが難点ですがアルブミンが少なくなってないので良しとしてます。
Q. ADPKD と診断されたころは、他の病気のこともあり大変だったと思います。ADPKD に対し て、そのころのイメージと今のイメージに変化はありますか。
A.自分がADPKDと診断された時はADPKDでも死亡率の高いくも膜下出血した時だったので、その当時は5年生きれは良しと思ってました。
くも膜下出血から18年経った今はADPKD思ったよりも長く生きるリスクが有り死んでる予定だったのでこれから定年後の事を考える様になりました。