闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

Still Alive 〜死に損ねて19年〜

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1999年3月21日、この日を境に自分の人生は大きく変わりました。本日(3/21)でくも膜下出血してから19年が経ちました。色々有りましたが長いのか短いのか良く分からないけど未だ生きてます。


手術を決めるまで

透析の穿刺が痛いと言う人が時々居ますがくも膜下の頭の痛みに比べたら麻酔無しの穿刺の痛みでも蚊に刺された位と同じ位に思えるのでつい笑ってしまいます。「過去に経験した事のない頭の痛みで何度も戻した」と救急外来で伝えたけどMRIの結果が問題ないので家に帰って様子見てと言われ様子を見たら翌日左半身が麻痺して即入院。

色々検査して1週間も分からなかったけど腹部CT撮ったら一発で嚢胞腎が判明しました。嚢胞腎はくも膜下出血のリスクが高いってことで髄液を採取したら血が混じってたのでくも膜下出血が判明しました。自分の場合は腹のCT撮ってくも膜下出血が分かった事になってますが最初のMRIで見落としただけと自分は思ってます。

くも膜下出血が分かったらインフォームドコンセントで先ずは手術のリスクの説明で手術しなければ1週間以内に死ぬ確率は99.99999で手術しても死亡30%、寝たきり30%、生きてるけど重度の障害が残る30%障害も無く社会復帰出来る10%。なので「手術しないと明日死ぬかも知れないけど」どうしますかと聞かれました。

自分は「手術自体を成功する自信は何%???」と聞き、医師が「99%」と答えたのでクリッピング手術する事に決めました。


くも膜下出血のリハビリは超大変

手術の前は怖かったけど手術自体麻酔が効いて寝てただけなので何の思いも有りません。結果から言うと手術は成功して10%の障害も無く社会復帰出来ましたがリハビリは超大変でした。

体育学部卒なので身体の動きに付いて知識が有りましたが動くべき所が麻痺して動かない事はショックでした。医師は治ると言ってますが動く気配は4カ月全く無い中でのリハビリ不安や筋肉痛などで最悪でした。

リハビリしてから初めて横断歩道を渡れた時は全日本インカレで日本一になったよりも嬉しかったです。それ以降も冬になると度々後遺症で左側が動かなくなるので難儀です。

透析が辛いと言う人が居ますが多分同じくらいに自分も辛いのだとは思いますがもっと辛いくも膜下出血の経験をした為に透析治療は楽勝と思ってしまいます。


十人十色

因みにこのブログの主な目的は多発性嚢胞腎でくも膜下出血して透析してる人の体験談を後世の多発性嚢胞腎の患者に残す事です。なのでリンのコントロールが上手く行ってない事などを包み隠さずお伝えすることで後の多発性嚢胞腎の方で役に立つ事が有れば良いと思って書いてます。

多発性嚢胞腎の患者は「病状は十人十色」って事を日頃の闘病で良く知ってるので自分がリンのコントロールが上手く行ってない事や自分とは症状が異なる事を差し引いて自分の体験談を読んで頂けると思ってます。


最後に

自分が多発性嚢胞腎と分かった時は治療法の無い病気でしたが現在ではトルバプタン(サムスカ)が有ります。将来的にPKD1とPKD2の遺伝子治療の出来るか日も近いと考えてます。なのでこのブログの内容を未来の多発性嚢胞腎の人が読んで昔は大変だったねって言われる事を願います。