闘病マニア

1999年3月21日にくも膜下出血、2004年2月4日からの人工透析してるPKD(多発性嚢胞腎)患者の闘病を主に書いてます。闘病生活も10年を超えると生き延びる為に自分の病気にやたら詳しくなりマニア化してます。ただし不良透析患者なのでコイツ大丈夫と思われる事も多いと思いますが反面教師として役立てて頂けると幸いです。最後にくも膜下出血して透析してても元気にやって行ける事が多発性嚢胞腎の皆様に伝われば何よりです。

少し良くなったけど息苦しさは続いてます

昨日は息苦しいので紹介状を書いてもらう為に近所の呼吸器内科に行ったらパルスオキシメーターは95でしたがレントゲンの写真は前のがないので透析施設で診てもらい紹介状を書いてもらって総合病院へ行って下さいと言われた。

 

透析施設で診てもらいバルスオキシメーターは94でレントゲン撮影はせずいきなり緊急透析。1.5kg太ったと言っても聞く耳を持たずドライウェイトを上げずに透析開始。予想通り血圧の上は72まで下がり何とか水を入れ1.3kg残しで血圧の上86で終わりました。

 

何のことはなく初めから申し入れしたい1.5kgドライウェイトを増やして丁度良い様でした。透析中もずっと息苦しかったし終了時のパルスオキシメーターは89でした。息苦しいと訴えてるのに血圧は計るけどバルスオキシメーターを計らないのは如何なものかと思いながら痙攣しそうな体を引きずって何とか帰宅しました。

 

帰宅したら昼ごはんは息が切れ疲れるので止めて痙攣防止の為に芍薬甘草湯を飲んで横になって過ごしました。レントゲンを撮らず緊急透析になった時点で「この病院は駄目だ」と観念しましたが最低限の目的の紹介状は書いてもらったので最新の目的の総合病院で診察してもらえるので良かったです。

 

【追記】

過去の抗菌薬の処方、鎮痛剤の処方、リンの吸着剤の処方で主治医とのラポールは皆無なので苦情や改善要求は落ち着いたらしたいと思います。今回も有り得ない処置でしたが息が上がって頭が回らず直ぐに言い返せず売り言葉に買い言葉にならなかった事は良かったです。